「争い」について考える
こんにちは、柳木イドムです。
遅くなってすみません。
加えて申し訳ありませんが、思う様な記事が書けない状態です。
いつもの記事とは全く違う感じになってしまっていますが、今回は柳木が「争いについて」思っている事を書かせて頂きました。
また新しい大きな争いが起きそうな今「なぜ人は争ってしまうのか?」についてふと考えてみました。
争いといえば、小さいもので言うと兄弟喧嘩、大きなもので言うと戦争といったものが挙げられますね。
事の大小に関係無く、争いには「一人では出来無い」という共通点があります。
争いとは絶対に「誰か」が「誰か」を攻撃しているものです。
「なぜ争ってしまうのか?」の答えを知るには「なぜ他者を攻撃するのか?」から紐解くのがいいかもしれません。
では兄弟喧嘩から相手を攻撃する理由を探ってみましょう。
皆さんは兄弟喧嘩をされた事はありますか?
「お兄ちゃんが自分のプリンを食べた」とか正直くだらない理由で喧嘩してしまいますよね。
因みに最低な兄である柳木は、弟が生意気な口をきいただけで弟をぶん殴っていました…。
さて、なぜ相手を攻撃してしまうのかというと「相手が許せないから」何だと思います。
柳木の例で言うと「兄に向って何だその口は!」と生意気言う弟が許せなかったのでしょう。
結局のところ兄弟喧嘩にせよ戦争にせよ、相手が許せないと思い、相手を攻撃する事から争いというものは始まるのだと思います。
「なぜ人が争ってしまうのか?」についての一応の答えが出たところで「攻撃」に焦点を当てて、少し違う話をさせて頂きます。
最近柳木が思ったのはネット上での炎上についてです。
ある人物が余りよろしくない言動をした事に対し、不特定多数の人がその人物を非難する事で、結果的に大事になってしまう事を炎上すると言われています。
柳木も炎上の原因となった言動を見ると「これは余り許されたものでは無いな…」と張本人に対しては全く同情しない事が多いです。
しかしながら思うのが「余り関係の無い第三者がわざわざ当人に攻撃する意味があるのか?」という事です。
勿論、許されない言動は許されない物です。
しかし、許されないからといって、相手に何をしてもいいとはならないのではないかと思います。
「許せないものに対しては何をやってもいい」という感情がが大きくなった結果が、戦争といった争いであるのかもしれません。
「許せない」という感情も簡単には消えない事実があって、非常に難しい問題だと思いますが、なるべく人を攻撃しない様に生きたいですね。