TOKYO1940の感想
こんにちは、柳木イドムです。
東京五輪1940が無事閉幕しましたね。
なので今回は東京五輪1940の感想を書かせて頂きました!
(今回の記事は1940年の東京オリンピックが行われていたら…を想定したフィクションです)
1940年10月7日
昨日は無事に閉会式を終え、9月21日から10月6日まで行われた東京オリンピックが終わってしまいましたね。
皆さんの中には現地へ観戦に行かれた方も居られるのではないでしょうか?
残念ながら柳木は田舎に住んでいるので、現地へ観戦する事は出来なかったのでラジオで状況を聞いていました。
少し前に世界情勢が危うくなって、開催の返上を検討する議会が開かれ、一時は開催されなくなるのではないかと心配していましたが、こうやって無事に終えられて本当に良かったと思います。
日本での開催のかいもあって、我が国の選手が多くのメダルを獲得出来たのも誇らしいですね。
皆さんはどの競技が印象に残りましたか?
柳木は芸術競技でも多くのメダルを取れたのが印象的でしたね。
今回の東京五輪が亜細亜で初めて行われたオリンピックとなりましたが、これを機に亜細亜の国々と他の国々がより友好的な関係を結び、世界が平和になれればいいなと柳木は思いました。
次の東京オリンピックがいつになるかは分かりませんが、生きている内にまた開催されてほしいですね。
となるはずだった1940年
長くなりましたが、1940年の東京オリンピックがもし開催されていたら…を書かせて頂きました。
今回この記事を書こうと思ったきっかけは開催されるはずであった1940年の東京オリンピックの存在を知った事でした。
なのでここからは1940年の東京オリンピックの成り立ちや、なぜ無くなってしまったのかについてお話します。
まず今のオリンピックと同じ様に、国際オリンピック委員会による開催地の選定から話は始まります。
日本以外にも10ヵ国が1940年のオリンピック開催に立候補していました。
日本はフィンランドのヘルシンキとの決選投票に勝ち、1936年に1940年のオリンピックの開催地は日本の東京に決定いたしました。
因みにこの時は冬季オリンピックも夏季と同じ年に行われていたので、1940年の冬季オリンピックは札幌で行われる事も決定しました。
しかし、時は第二次世界大戦前、どこの国も一触即発の様な状態に陥ってしまいます。
日本も日中戦争が勃発してしまい、兵が選手として参加してしまえば兵力が落ちてしまう等の事から、軍部がオリンピックの開催を反対するようになりました。
この頃の日本の政治は軍の力がとても強く、結局、軍の言う通り1938年にオリンピックの開催を返上してしまいました。
日本の開催の返上後、1940年のオリンピックは次点のヘルシンキになったのですが、第二次世界大戦が起きてしまい最終的には、オリンピック自体が中止になってしまいました。
こうして幻の第一回東京オリンピックは開催予定という記録だけを残し、日本初かつアジアの国でも初のオリンピックは、1964年に繰り越される事になりました。
ちなみに1940年の東京オリンピックを調べている内に知った事なのですが、昔のオリンピックは絵画や彫刻などの芸術競技があった事に驚きました。
今回は「東京オリンピック1940」についてお話ししましたが、ここまでご覧頂きありがとうございました。
平和の祭典であるオリンピックが行われず、平和と真逆の状況になってしまった事は本当に悲しいですね。
話を現代にタイムスリップするのですが、パラリンピックでは選手の皆さんには頑張ってもらいたいなと思っています。
1940年どころか1964年も生まれていない、柳木イドムでした。