ちょっとした「気遣い」が世界を救うかもしれない話
こんにちは、柳木イドムです。
見知らぬ誰かから気遣いを頂いた時は、心が温かくなりますよね。
しかし、そんな気遣いも減りつつある現代だと思います…。
今回のテーマは「気遣い」です。
気遣いが少なくなった理由とそれでも気遣うべき理由についてお話しさせて頂きました。
気遣いが減りつつある現代
まず、柳木は人が人への気遣いが減った理由は「人が人へ気遣わなくなったから」なのではないかと考えます。
「気遣いが減った理由は気遣わなくなったから」と聞くと、理由になっていないように思われるかもしれませんが、順に説明したいと思います。
例えば、皆さんも「電車やバスでは優先するべき人には席を譲りましょう」と習ったと思いますが、実際に席を譲る人って少ないと思いませんか?
皆さんも席を譲るべきとは理解しているはずですから、近くの人が総立ちして「座ってください」と言ってもおかしくはないはずです。
ですが、最近は一人譲ればいい方で、余り譲らない方が多くなったと感じています。
これは「誰かが譲るだろう」という風に、自分がしなくても誰かがするであろうという他人任せな考えが増えてきているからだと思います。
確かに結局は一人譲れば済む話なのですが、この考えが広がるとある問題が浮上します。
それは全員が「誰かがするだろう」と思うようになると、誰もしなくなってしまうという事です。
実は相手を気遣うという事は、例の場合ですと席を譲るべき人だけでなく、他の乗客の事を思う事も含むのではないのでしょうか?
「誰かがするだろう」という考えは、その「誰か」を全く気遣っていない考えなのではないかと思います。
そして、この「誰かがするだろう」という考えが世の中に蔓延しつつある現代は、助けが必要な人に対しても多くの人が「誰かがするだろう」と見て見ぬふりをするようになってきた様に思います。
ちょっとの気遣い
では何故気遣う事が出来なくなってしまったのでしょうか?
それはある悪循環のせいかもしれません。
人は自分の事で一杯になると、なかなか他の人まで気を遣う事は難しくなると思います。
しかし、一人一人が自分の事しかしなくなれば、それぞれの負担が大きくなり、余計に自分の事で精一杯になってしまうかもしれません。
この様な悪循環が、現代社会の問題だと思います。
こんな状況では、人を気遣う事は難しいですが、それでもした方が良いと柳木は考えています。
人を気遣って助ける事で、先程とは逆の良い循環が生まれると思います。
物事は一人より二人、二人より大勢で取り組んだ方が一人一人の負担は少なくなります。
負担が少なくなり余裕が出てきた事で、それぞれがまた別の人を気遣って助けてくれる事でしょう。
この良い循環がどんどん連鎖していくと、やがては世界中の人を助ける事になるかもしれません。
こうして自分のちょっとした気遣いから世界を救えるなんて素敵な事だと思いませんか?
ちょっと相手を気遣って助けてあげる事は、巡り巡って自分を助ける事になるのだと思います。
まとめ
・気遣いが無くなりつつあるからこそ、自分から気遣えるようになろう。
・ちょっとした気遣いが自分や周りの人を助ける事になります。
今回は「気遣い」についてお話しさせて頂きましたが、いかがだったでしょうか?
皆さんも自分の事で一杯かもしれませんが、少しでも人を気遣っていただければ幸いです。
相手の事を思う気持ちを大切にしていきたいですね。
あいつはよく気が付くと言われると嬉しい、柳木イドムでした。